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2004.04.29

セガ派(2)

SG-1000II.gif

というわけでクリスマスプレゼントに買ってもらったSG-1000II。ソフトは、僕は「パッカー(パックマンの主人公を車に置換えただけのゲーム。でも画面はなかなかクールな印象だった。)」弟は「ハッスルチューミー(画面構成はマリオブラザーズ。主人公のネズミが空き缶を吐き出して敵を倒す)」をそれぞれ買ってもらう。

ファミコンに比べたら画面もショボショボで、ゲームもなんとなく面白くない。でも僕と弟はその二つのゲームを遊びまくった。ゲームのステージは3面ほどしかなく、同じ舞台で、同じシチュエーションのループしたゲームをやりまくる。今じゃぁ5分で飽きてしまうだろう。

新しいゲーム機を買ったというので、友達たちが押しかけてきた。でも新しいゲームなのに誰も喜ばず、程なくしんみりとしてしまった。全然面白くなかったようだ。彼らは程なく帰ってしまった。あのときの寂しさといったら無かった。

「おまえんち、セガやからなぁー」

そんな言葉がふと頭をよぎる。なんてくやしい言葉なんだろう。そしてセガはなんと可哀想な奴なんだろう。

僕はその時、心中にとろとろと灯るセガ熱に気が付き始めていた。

どんどん書いてしまえるので、今後もうちょっと続けます。セガ好きな人、いるかな?

絵は、思い出しながら描いたSG-1000II。確かこんな感じだったと思う。結構再現性に自信アリ。

2004.04.28

セガ派

megadrive.gif

どーも僕は昔からセガ派だ。初めて買った家庭用ゲーム機は、セガが出していたSG-1000IIというマシンだった。

クリスマスプレゼントだった。

僕の家庭にはサンタさんは来なくて、代わりに両親がクリスマスプレゼントを買ってくれた。親と一緒にデパートに行き、クリスマスプレゼントを自ら選べた。これはとてもよいしきたりだった。今思うとちょっと悲しいな。

本当は、皆がもってるファミコンが欲しかったのだが、僕らがデパートを訪れたときはとうに売り切れた後だった。母親は「また今度」といった。そんなもの子供が待ちきれるわけがない。僕は仕方なく他のゲーム機を選ぶことにした。残っていたのは、スーパーカセットビジョン(1ドットが1cm位あった気がする。)、カシオのゲーム機(ピンポンとかインベーダーーゲームとかブロック崩しが入ってる。カセットを差す穴は無かった。確かオレンジ色をしていた)、ツクダオリジナルのオセロマルチビジョン(SG-1000シリーズと互換性があった気がする)、SG-1000IIだった。僕はさんざ迷った挙句セガのSG-1000IIというゲーム機を買った。

ようするに、そこがセガ派の始まりだった。

長くなるので明日続きを書こうかな。書かないで置こうかな。

絵は「メガドライブ」デザイン。意味ないです。

関係ないけど、同時期、やはり同じ"ファミコン売り切れ"に遭遇した友達は、「アルカディア」というこれまたショボイゲーム機を買っていた。記憶にあるのは、コントローラーのコードが電話機のようにくるくるしていること。コントローラーに意味無く数字キーがついていたこと。

2004.04.27

無表情

cat.gif

今回は絵にある二匹のネコをちょっとしばらく見てみて欲しい。

どっちのネコがほっとけないだろうか。僕はどちらかというとAのネコを持って帰る。

かねがね考えていたんだけど、無表情なものには何かの魅力がある。言葉が通じる通じないにかかわらず、人間は表情を見て相手の出方を探る。悲しいのか、可笑しいのか、怒っているのか、納得しているのか。

表情の無い相手を前にしたとき戸惑う。同時に、相手のどんな細かな仕草もつぶさに観察する。だがそれでも感情がつかめない場合、自分の想像力でもって様子を補填しようとする。もうその時点で対象に深く取り込まれてしまっているのだ。正常な判断は出来ない。

今回のネコの場合、僕は表情の無いAのネコを取った。そこには、僕が勝手に(瞬時に)ストーリーをくみ上げた結果がある。表情豊かでないこのネコは、表情が読めないゆえに人々から素通りされ、僕が拾わない限り状況から救われることは無く人知れず死んでしまうだろう。Bのネコはまぁ、大衆に取り入って適当に生きてゆくんではないか。

無表情な人間というのもまた惹かれる。ほんのちょっとでも笑わせられたときは「やった」と思うし、ひょっとしてこの人怒ってるのかと察したとき心底びびる。増してや、無表情な顔から涙がひとすじ流れたときなんかはトラウマになってしまう。だがその"めったに表情を変えない"が故に信頼感をかもし出している気がする。

僕は良く「わかりやすい奴だ」といわれるが、何か嬉しい反面寂しい気分。

2004.04.26

色を塗りました

nodatown02.jpg

僕の住む町はこういった木造の家屋ばっかりだ。もう慣れてしまったけど、結構ノスタルジックで良いのではないか。

大阪駅から電車でたった5分なのに、ここいらは発展しないのだ。ぽっかりと取り残されている感じ。

昨日の絵を塗りました。大阪の空は白っぽい。やっぱ空気が濁っているんだろう。

2004.04.24

絵とは全く関係ないが

nodatown01.gif

今テレビつけたときに丁度目にした、"霊感バスガイド事件簿"というTVドラマの題名はまるで、"○○で○○が○○した"、というレクリエーション・ゲームを想像させる。ご存知の方も多いんではないか。

まず、小学校などでバス旅行をしたときなどに、クラス全員に3枚ずつ小さな紙を配る。その3枚の紙に、めいめい"どこで"、"誰が"、"何々した"という言葉をなるたけランダムに描いてもらう。その紙を集め、それぞれ3つの箱の中に入れる。丁寧にシャッフルし、先生は箱の中に手を入れ3つのジャンルを選び出す。取り出したら、先生は皆に聞こえるように、誇らしげに読み上げる。

「宇宙で、渡辺が、うんこもらした」

そこで爆笑。指された渡辺はヒーロー。

と、そういうゲーム。

今どきのマセガキにやらせたらどうなるんだろうか。

「消防署で、山田先生が、田中とオーラルセックスした」

「甲子園球場で、鈴木が、TOEIC800点マークした」とか。

絵はまったく関係ないです。これは明日色をつけたいと思っている絵。

2004.04.23

思い込みの努力

alone.jpg

何か信じられない事件に出くわしたとき、あるいは望みが切れそうなとき、"これは夢だ"、"これは見間違いだ"と思い込もうとする。だが、その暗幕の隙間から、人は現実をうかがおうとする…。

と、そういった深刻なものとはまったく無関係な、どうでもいい話。

小学校3年くらいの幼い頃、僕は母親と親戚に連れられて、祖母の墓参りに行ったことがある。それが昼間ではなく不思議と夜だったので良く憶えている。薄暗い墓地の風景に恐怖を感じながらも、幽霊が出ないだろうか、人魂が現れないだろうか、と、内心わくわくしていた。

母たちが祖母の墓を拭き清め花を活け換えるまでの間、僕は注意深く周囲を見渡していた。しんとした月夜に鈍く光る御影石、あたり一面に咲くヒガンバナの隙間、足元の影。

だが幽霊や人魂らしきものはなにも見つからず、僕は焦っていた。そんなはずは無い。夜中のお墓に幽霊がいないはずがないのだ。

やがて墓参りは終わり、手を引かれて歩き出す。

墓地を出るまでのあいだ、遠くにボウと浮かぶ白熱灯を眺めていた。そして、あれは人魂だ、あれは人魂なんだと、強く強く思い込もうとした。ランプのように光ってるからみんな気づかないけど、自分だけはわかる。それは、レイカンがするどいから。

その努力の甲斐あってか、その墓参りの風景の中には何かぼんやりとした人魂が思い出される。ちろちろと動いて、火を纏っている。

当時は心霊ブームだった。テレビを見るたび、幽霊を見たという友達の話を聞くたび、僕はうらやましくて仕方が無かった。

現在のところ、霊感はぜんぜん備わってないようだ。まぁ今となっては、そんなもの無いほうがいいです。

絵は2001年7月23日、23:06:06に昔のホームページに飾っていたもの。納涼のためのうすら怖いものを描こうとしたもの。

2004.04.22

bareta.gif

ARTIFACT ―人工事実― にこのカタトランタンが綺麗なスクリーンショット付きで紹介されていた。ありがとうございます。これからも力をいれずやってゆこう。

ついでに友達に見つかってしまった。てれるなぁ~。今回はそんな見つかってしまった感がある絵。

話は変わるがミッフィーというのはかわいい。つぶらな瞳にちいさな口。耳は上のほうにきゅっとまとめられている。特に目と目の距離の離れ具合が非常に愛くるしい。

ミッフィーの特徴は、なんと言っても顔中央の×マークだ。ミッフィーの作者ディック・ブルーナいわく、「鼻と口を一緒に描いたもの」ということだ。残念ながら作者のいうとおりに∨を鼻、∧を口として見るとあまり可愛くない。だがウサギとして見てみると、なるほどウサギ然としている。

ウサギを正面から見てみると良くわかるが、ちいさな鼻の下はとても短く、口は鼻と同じくらいの大きさをしている。目は頭の対角についている。耳はほぼ頭頂部にまとめて生えている。平面的な絵だと思いきや、ミッフィーはウサギの立体感を端的にあらわしているのだ。

だからもし、ミッフィーが読者から目線をはずして横を向いてしまったなら、読者は意外に奥行きのある顔かたちにびっくりしてしまう(かも知れない)。

だからブルーナはミッフィーの横っ面を描かないことにした(かも知れない)。

2004.04.21

マイセンライトのパッケージが変わる

mildsevenlight.gif

僕の吸っているタバコ「マイルドセブン・ライト」のパッケージがいきなり変わってしまった。

ハッキリいって気に入らない。気に入らないぞー!!なんでこんな飽きやすくてしかもつまんないデザインにしたんだろう。

タバコを吸い始めてからこのかた、マイセンライトにここまで大幅なデザイン変更は無かったと記憶している。ということは、僕は今改めて思い返してみると、(多少の浮気はあったものの)12年もの間同じタバコを吸いつづけているんだな。良く飽きないものだ。

ちなみに、僕は1日約1箱吸っており、タバコは1箱20本入っているので、今までの累計喫煙本数は

365*12*20=87600本。

オエー

絵は、タバコを吸う女のこ。現マイセンライトの配色。

2004.04.18

夢の内容を絵に描く

dream.jpg

今回見た夢はえらくはっきり憶えている。その光景を絵にしてみたので、誰も興味ないだろうけど説明してみよう。

[1コマ目]

僕はその時、きれいに整備された丘を必死になって登っている。その丘にはなぜか掛け布団が敷き詰められている。僕はそれを登っていかなければならない。だが、掛け布団はずるずる滑ってなかなか上に登れない。意味わからないけど、ここが整備されたある種のアスレチックスペースであることは知っている。それはとても危険なアスレチックで、この丘から転げ落ちたらかすり傷ではすまないだろう。

[2コマ目]

僕はものすごい努力の末に掛け布団の丘を登りきった。そこには一筋の道が横たわっている。何も無い。遠くに数人の若者がいて、僕と同じように途方にくれている。左のほうに、大きなプールでよく見るウォータースライダー(のようなもの)があるのがわかる。面白そうなので僕はそちらへ向かう。

[3コマ目]

一筋の道を左に行くと、90度にきれいに切り取られた崖っぷちだった。

[4コマ目]

崖ッぷちから、ウォータースライダーの一部の支柱が生えていた。下を覗くと、きれいなプールになっている。(だが見た目はダムのような感じ)ここから飛び込みたいが、この高度(地表から約50m位だろうか)から飛び込めば死んでしまう。少しでもプールに近づく為に、ぼくはウォータースライダーの支柱をおそるおそる降りてゆく。


[5コマ目]

僕はそのあと、どうにも進退がつかなくなり途方にくれてしまう。だが、ついにウォータースライダーの入り口らしきものに到達する。僕は意を決して飛び込んだ。だが、入り口に見えたのは実は見間違いで、自分が飛び込んだのは、汚水が溜まった浄化槽だったのだ。僕はそれに気づき、無我夢中でどろどろの汚水から脱出する。飛び込むときに両手を離していたら、僕は死ぬところだった。やっとのところで頭を汚水から出し見上げると、そこには綺麗な綺麗な水が、透明な雨どいをさらさら流れる光景だった。

ああ、そこか、やっと脱出できる。あの雨どいを伝うなら、きっと地表に降りることが出来る。

といったところで夢から醒める。汗びっしょりだった。

2004.04.17

なんですかこれ

anything.jpg

会社の送迎会でしこたま飲んでまいりました。ブログの更新はしなくちゃならないので絵を描きました。べろべろのままで。

出来た絵がこれ。なんだかわからないけど巨大だねぃ

巨大な建物は良い。畏怖の念に満ちている。

巨大で畏怖を感じるといえば、そうそう、思い出した。いきなりで申し訳ないけども。

PL(Perfect Liberty)教団という宗教がある。名前くらいは知っているだろうか。高校野球大会でよく耳にするだろうか。

…まぁなんにせよ詳しいことは置いておいて、大阪の羽曳野市"聖地"にそそり立つ、その名も" 大平和祈念塔"は、いびつな形をしているくせに均斉なマッスを持ち巨大。それを見るものの質量感をあっさり狂わせてくれる存在だ。

2004.04.15

天使

angel.gif

大変仕事が忙しいので誰か手伝ってくれないかな…。とか思ってるからこういう絵を書くんだろうか。

きっとそうだろうな。迷惑そうな顔してるし。見下ろされてるし。

というわけで寝る。

2004.04.14

高橋幸宏の

meet.gif

高橋幸宏の"Xmas day in the next life"を聴きながら絵を描いてみる。で、出来上がったのがこれ。ロマンチック。

男女ともスーツで、会社の通路で一瞬だけ手をつなぐ。そういう絵だ。ドキドキして、だけど、時機によっては悪い情景になるかもしれない。二人は絶対に、与えられた仕事をしなければならないから。

2004.04.13

ネコが好きだけど

dogandgirl.jpg

今回は犬の絵。犬といっしょにダッシュ!の図である。背景は2年ほど前に撮った写真を合成してみた。絵はさっきかいた。なかなか僕としては動きのある絵を描けて嬉しい。

僕は昔からネコ派なんだけど、ネコ派から犬を見てみると、犬は人間に対して「子分」という間柄のように思える。それに対して、ネコは「同居人」という感じだ。相手のことがわかっているようでわかっていない、慕われているようで慕われてない、そういう、ある意味イーブンな関係であると思う。ネコには不可侵な領域というものがあるし、それを主人もネコも気遣いあう、そういう間柄、領分を保っている。ネコが気を悪くしたら、当分僕はネコを構わない。ネコは主人を絶えずバカにしているが、たまには触らせてやる気心を持つこともある。…と、ネコのことには筆の進みが速いな。

ところで、犬と主人にはそういうものが無く、互いに信頼しあう主従関係が生じていると思う。主人は犬に対して横柄な態度をとってもいいし、犬はそれを理解し、かつ期待している気がする。

だから犬は主人と歩くとき、常に先導しようとする。主人が走るときは、同じ速さで走ろうと傍らから外れない。

犬の手綱を引かせてもらうたびに、犬というのは結構強い生き物であることが分かる。

犬は絶えず、主人を守ろうとしているのではないか。犬は連綿と続く古代からの契約関係の中に、今も身を置き続けている。

2004.04.10

おっさんつながりでもう一つ

ossan2.gif

僕の勤める会社の近くには阪神高速道路があるが、その橋桁の下で寝ている印象的な浮浪者のおっさんを絵に描いてみた。このおっさんは1月ほど前からこの高架下に居座り始めた。

浮浪者はここいらでは良く見かけていて、彼ら自体には別段興味を抱かなくなってはいたがこのおっさんはなかなかに興味深い。彼の家財道具は真四角平面な高架下のスペースのなかでとても最小限に、とても整然と並べられていた。

きれいなダンボール箱に収められたその荷物がまっすぐつづく道にそって直角に、グリッドに沿い正確にレイアウトされている。その光景はあたかも神経質な人の自室を見ているようだ。

おっさんは朝方になると、周りに整然と置いた荷物を全部そっくり持ち出して何処かに行く。そうしてまた夜になれば、彼が持ち出したいっさいがっさいを丁寧にhome positionに置く。

なにか、リズムのある生活。

イノセンス

イノセンス観にいってた。

先進の演出と技術、そして、大半の観客にとってすでに形骸化された「押井節」の品評会。そのためだけに、(あるいはそれくらいしか期待せずに)僕らは劇場に足をはこんだのではないか。

2004.04.09

おっさん

ossan.gif

なんとなくトラックの傍らに立つおっさんを描きたくなった。おっさんは日本の何処にでもある、普遍の風景だ。

肌は小麦色で、筋張った痩せ型で、ヘビースモーカーでヤニの染み付いた歯をみせて笑う。

「なんや、まだそんなことやってるんか」

2004.04.08

4年前の絵

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僕の中ではごく最近に描いた絵だった。だが今回ハードディスクをあさって手に入れたこの絵は、もう4年も前に描いた絵だった。正確に言うと、2000年9月27日、20:28:00。

パソコンの中には確実な記録が残る。あいまいな人間の記憶を許さない精緻さで。

最先端で最新のテクノロジーなはずの、世界をリアルタイムでつなぐインターネット、そしてその端末は、もうとっくに、僕の歴史を刻みつつあるものになっていた。そういった世代が手にするのは、脳の中にあるいわゆる"思い出"に余計なおせっかいを働き、または否定する悲しい外部記憶なのではないか。

この絵は、僕が通勤している間にいつも見た風景。アパートの屋上で、古びたエアコンの室外機が風に揺られてくるくる回っている光景を描いたものだった。

この建物は今はもう無い。この場所には現在あたらしい家が建っている。

2004.04.07

静謐

goodnight.jpg

今日は結構早く帰れたので絵を塗れた。秋の湖。湿っぽく少しつめたーい感じ。女の子はちょっと怖いかなぁ。

どうも、最近秋っぽくないだろうか。高く晴れ上がった空を見上げるたびに、「ああ、秋だな」と勘違い。いやいや春なんだ。

2004.04.06

ビックリ!インド人の頭の中

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「ビックリ!インド人の頭の中」という本を買った。タイトルからしてすごくそそる。本の帯(タスキ)にあるコピーは「無は存在する」「眠っていても目覚めている」「なんでだろー?なんでだろー?」(ここはちょっと時機を逃している)とてもキャッチーだ。1500円と少々高いが買って読んでみる。

面白そうな記述もいろいろあるにはあるんだが、正直言って「頭悪い奴は買うな!」というのが最初の感想。VOW!的な内容を予想させるキャッチコピーとは裏腹に内容は非常に哲学的で、出てくる言葉は帰納法だとかなんちゃら学派とか、頭の悪い僕にはまったくちんぷんかんぷん。

要するにこの本は、メジャーな西洋哲学に比べ、インドの哲学はいかに変でいかに先進的かを説いている本なんだ。西洋哲学に精通した人なら、この本は面白可笑しく読み、あるいは憤慨し、また考えさせられるものに違いない。

だいたい僕は、この絵のような先入観でしかインド人を知らない。あとガンジス川とか牛とか。

2004.04.05

ギョーザスタジアム

gyouzastudium.gif

大阪梅田のギョーザスタジアムに行ってきた。絵はその様子…のはずなんだけど、なぜかつげ義春の世界になってしまった。「悪質な冗談はやめて下さい ぼくは死ぬかもしれないのですよ」

本当はもっと黒山の人だかり。人で賑わって活気に満ちているのだ。内装は昭和初期の懐かしちっくな町並みを再現しているのだ。

しかし、名前のとおり店はギョウザ専門店ばっかりである。みんなギョウザ目当てに並んでるんだ。たかがギョウザで「番号札9番、9番の方~!」とか言ってる。すごい。仕方なく、僕らはめいめい別の場所へ並ぶ。

ため息つきながら並んで、やっとこさ手に入ったとおもったら、今度は食べる場所を探さなきゃいけない。どこも人でいっぱい。ついにみつけたのは、ビールケースを積んだだけの狭いテーブルが並ぶスペースだった。

僕らは落ち着かない様子でギョウザをつついた。

2004.04.03

文章と絵とは関係ありません

cathathurantanne2.jpg

塊魂(かたまりだましい)というゲームを買った。重力ボールみたいなものにいろんなものを巻き込みまくるゲームだ。

何が面白いんだかわからない。でも面白いんだ。新しいと思う。敵を倒すとか、ストーリーを楽しむとかそういう既存のゲームとはまったく違う。誰も体験したことのない楽しさ。これ、なんだろう。なんだろうな~。たとえば、机に散らばった消しゴムのカスを指でどんどん丸めて大きくしていく感じ、あれをスケールデカくそしてサディスティックにした感じかな?

なんだろうな~。

2004.04.02

重視するところ

wind.gif

今回の絵は、珍しくさっき描いた。なぜか風にあおられてスカートがめくれてる。それだけの絵。なぜだ。はじめは水晶球に念力を送り込んでるカッコイイ魔女っこを描くつもりだったのに。ちょっと成り行きを思い出してみた。

念力を送るからにはなんか下から風が吹いてるような効果が必要だろう。下から風が吹いてるからにはスカートが捲りあがるだろう。そんなとき彼女はスカートを抑えないんだろうか。ていうか水晶球があったら(成り行き上)股下ぎりぎりのちょっとエッチくさい所が描けねぇじゃないか。

ということで、こういう結果に落ち着いた。何を描いてんだろうか。このシチュエーションを説明してみるとこういう感じ。

どうでもいい場所で、ひらひらの服を着た少女が、何故だか自然と浮き上がるスカートを抑えている。しかもその抑え方が中途半端でちょうど股下ぎりぎりである。

こういうのを機能重視の絵とでも言うんだろうか。

今表示されているのは、後で色塗ったものです。

2004.04.01

ネタ浪費

cathathurantanne.jpg

ということでえ。またまたハードディスクの中身を探していたんである。

今回の絵には、大きく「カタトランタン」の文字がある。

これは何かというと、アドベンチャーゲームを手軽に作ることが出来るフリーソフト'Nscripter'で作ろうとしていたゲームのタイトル画面なんだ。毎度の事ながら、今は凍結中…。なさけね。

このblogのタイトルは、ここから来ている。語感がいいんだ。ただそれだけなんだけど。既存の意味は全く無い造語だ。さて、このゲームはどのような物語だったろうか。だれも聞いちゃいないけど、それは以下のようなくだりだ。

現実・地球・日本・各地。そこに住んでいるものにとって共通意識として誰もが抱き、誰もが憧れる、"ここではない場所"。それを「カタトランタン」と名づけたあと、このアドベンチャーゲームは始まる。

夢を追いかけたが途中で挫折した若者。妊娠したが夫と別れる道を選んだ女。調子よく進んでいるプランに一途に挑む青年。会社と夢とのギャップに居たたまれなくなった男。

そんな人々が、その地「カタトランタン」をキーワードにして繰り広げる物語。

と、そういう物語だ。暗い!でも、ちょっと希望もある。そこらへんのさじ加減がいちばん僕が好きなポジションだ。

…あ、また(僕的には)超壮大なネタが一つなくなった。もうハードディスクにはなんぼものこってないぞ

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