無表情
今回は絵にある二匹のネコをちょっとしばらく見てみて欲しい。
どっちのネコがほっとけないだろうか。僕はどちらかというとAのネコを持って帰る。
かねがね考えていたんだけど、無表情なものには何かの魅力がある。言葉が通じる通じないにかかわらず、人間は表情を見て相手の出方を探る。悲しいのか、可笑しいのか、怒っているのか、納得しているのか。
表情の無い相手を前にしたとき戸惑う。同時に、相手のどんな細かな仕草もつぶさに観察する。だがそれでも感情がつかめない場合、自分の想像力でもって様子を補填しようとする。もうその時点で対象に深く取り込まれてしまっているのだ。正常な判断は出来ない。
今回のネコの場合、僕は表情の無いAのネコを取った。そこには、僕が勝手に(瞬時に)ストーリーをくみ上げた結果がある。表情豊かでないこのネコは、表情が読めないゆえに人々から素通りされ、僕が拾わない限り状況から救われることは無く人知れず死んでしまうだろう。Bのネコはまぁ、大衆に取り入って適当に生きてゆくんではないか。
無表情な人間というのもまた惹かれる。ほんのちょっとでも笑わせられたときは「やった」と思うし、ひょっとしてこの人怒ってるのかと察したとき心底びびる。増してや、無表情な顔から涙がひとすじ流れたときなんかはトラウマになってしまう。だがその"めったに表情を変えない"が故に信頼感をかもし出している気がする。
僕は良く「わかりやすい奴だ」といわれるが、何か嬉しい反面寂しい気分。
この記事へのコメントは終了しました。
コメント