思い込みの努力
何か信じられない事件に出くわしたとき、あるいは望みが切れそうなとき、"これは夢だ"、"これは見間違いだ"と思い込もうとする。だが、その暗幕の隙間から、人は現実をうかがおうとする…。
と、そういった深刻なものとはまったく無関係な、どうでもいい話。
小学校3年くらいの幼い頃、僕は母親と親戚に連れられて、祖母の墓参りに行ったことがある。それが昼間ではなく不思議と夜だったので良く憶えている。薄暗い墓地の風景に恐怖を感じながらも、幽霊が出ないだろうか、人魂が現れないだろうか、と、内心わくわくしていた。
母たちが祖母の墓を拭き清め花を活け換えるまでの間、僕は注意深く周囲を見渡していた。しんとした月夜に鈍く光る御影石、あたり一面に咲くヒガンバナの隙間、足元の影。
だが幽霊や人魂らしきものはなにも見つからず、僕は焦っていた。そんなはずは無い。夜中のお墓に幽霊がいないはずがないのだ。
やがて墓参りは終わり、手を引かれて歩き出す。
墓地を出るまでのあいだ、遠くにボウと浮かぶ白熱灯を眺めていた。そして、あれは人魂だ、あれは人魂なんだと、強く強く思い込もうとした。ランプのように光ってるからみんな気づかないけど、自分だけはわかる。それは、レイカンがするどいから。
その努力の甲斐あってか、その墓参りの風景の中には何かぼんやりとした人魂が思い出される。ちろちろと動いて、火を纏っている。
当時は心霊ブームだった。テレビを見るたび、幽霊を見たという友達の話を聞くたび、僕はうらやましくて仕方が無かった。
現在のところ、霊感はぜんぜん備わってないようだ。まぁ今となっては、そんなもの無いほうがいいです。
絵は2001年7月23日、23:06:06に昔のホームページに飾っていたもの。納涼のためのうすら怖いものを描こうとしたもの。
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