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2010.06.27

ガキの使い イッツジーショッピング『勃起王』 内に出てきた雑誌記事の書き起こし

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今日は、ずいぶん前に番組を観ながら一時停止と巻き戻しを駆使して書き起こしていたガキの使い「イッツジーショッピング『勃起王』」の中に出てきた架空の雑誌「男を磨くビジネス情報誌『未来の力』」の文章をアップするよ。

番組中の小道具として作られたんだろうけど、殆ど読めないのにちゃんと記事の中身まで作っているんだね。すごいなやっぱりテレビ番組というのは。

それではどうぞ。

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今、話題の『勃起薬』明日を語る

勃起薬に求められる〈自身〉〈強健〉〈快楽〉。

昨今の勃起グローバル化に伴い、独自の事業を開発。

勃起業界を支える5社が、今「勃起」を語り合う

Bokkioh_03

勃起薬の大手5社
モッコリコーワA
渡辺氏
モッコリS錠
佐藤氏
勃起王
勃起王氏
突起王
小島氏
カチカチ大王
坂本氏

坂本 初めまして。今日は宜しくお願いします。

小島 こちらこそ宜しくお願いします。

勃起王 こんな豪華な顔ぶれが揃うだけで『勃起』してきますね。

佐藤 ハハハ。また冗談を。

渡辺 お手柔らかにお願いします。

坂本 勃起王さん、本当に勃起されてるんですか?

勃起王 もちろんです。『勃起』するのが仕事みたいなものですから。僕自身も日頃、『勃起』している内に、段々と『勃起』の事を真剣に考えるようになってきて。『勃起』で悩んでいる人に『勃起薬』を使ってもらい、世界中の人間が『勃起』すれば、世界が幸せになるのでは、と。そんな事を常日頃から『勃起』しながら考えるようになっていました。「『勃起』って気持ちイイ!」って感じで。

小島 アハハハハ(笑)。

坂本 『勃起』が気持ちイイって思うことは大前提ではありますよね。

佐藤 さすが『勃起王』の星ですね!

渡辺 『勃起王』との出会いはいつですか?

勃起王 10年くらい前の日本では『勃起』という言葉はほとんど浸透していませんでした。世間はまだ『勃起』を知らなかったんです。そんな時に僕は、『勃起』と出会いました。いつもどおり生活していたら自然と『勃起』してきて、その時『勃起』に運命を感じてしまい、あの感動が忘れられず、『勃起』を独学で学び、『勃起』が出来る環境を探求し続けました。『勃起』が最高のエクスタシーをもたらすのは実証されていますから。だから今も『勃起』しています。勃起してないとどうも落ち着かなくて(笑)。もう『勃起』してないと恥ずかしくて街中も歩けなくなってしまったんです(笑)。

小島 アハハハハ(笑)

坂本 勃起王さんはすごい!

佐藤 あっぱれですね!

渡辺 私も見習いたい!

勃起王 ところで--《判読不能》--ですが、『勃起薬』は『勃起』する人の使い方次第で、善にも悪にもなると思うんです。そこで僕は『勃起王』で世界が平和になることを願っています。『勃起王』は疲れ切ったの全世界の人々の救世主になればいいと思っています。景気もさえないシケた世の中、みんなストレスも溜まると思います。顔が下ればムスコも下りっぱなし。それではいけないと思う!そこで、世界中の人々が『勃起王』に出会ったことで、失われた喜びが蘇る。みなさん、そう思いませんか?

一同 そのとおり!

(拍手)

勃起王 僕は『勃起』の全てにおいて、イニシアチブな考えを持っています。常に日頃から『勃起』の事を考えていれば、自然とそういう考えになってくるんですよ。『勃起』は幸福の一歩手前じゃないですか。エクスタシーまでの過程というか。その次には最高の幸福が待っている。それが『勃起』を通して力を与えてくれるのかな、と。『勃起薬』を使用していない一般男性からは、『勃起しない』、『中折れしてしまう』という不安が、自然と見え隠れしています。パートナーはそういうところに敏感です。『勃起』に自身がない人は美しくありません。しかし、『勃起王』を塗ることによって、自然と自信が湧いてくるのです。分かりやすく言えば

勃起王を塗ることによって、中学生に戻ったような感覚になる──勃起王

あの頃の、『勃起』って楽しいっていう感覚をみんなに思い出してもらいたいですね。最後に言いたいのは、『勃起王』は百利あって1害なし。強いて害を言えば、使うと減るという事。『勃起王』は『永久に不滅』です!

一同 アハハハハハハハ!(笑)

nanoloop for iPhoneでまたもや曲を作ったよ

いやーホント通勤のお供だね、nanoloop for iPhoneわ。

インターフェイスがいいんだよね。片手ですべてのオペレーションができるように作られている。iPhoneに音楽アプリは数あれど、これほど片手で操作しやすいものはないよね。ワークフローも考えて作られててストレスがないの。

今回の曲のテーマは、機関車だよ。シュッポシュッポ

nanoloop で作った曲6個目

よければ聴いてみてね!

2010.06.26

Painter11を初めて使って描いた絵だよ!

Ame

ムラムラ来たので、ついにPainter11を買ってしまった。昔から欲しかったんだPainterわ。で、この絵が初めてPainter11で描いた絵なんだよね。

Painterは色が綺麗にでるんだよな。この絵は濁ってるけど、混色をきちんとやればもっと綺麗な色が出ると思う。傘の部分とか若干綺麗でしょ。若干……Photoshopだともっと濁るんだよ。適当に塗ってるとね。IllustStudioはその中間くらいの色だな。まーこれ全部おいらの主観だから、みんなは惑わされてはいけないよ。

ということで、PhotoshopとIlluststudioとPainter、イラスト作成ツールの3巨頭がそろってしまったわけだ。まったく恐ろしいなぁ。ツールばっかり進化して行ってるよ。

2010.06.11

本を読む女の子

Novel3

本を読む女の子描くの好きだよね、俺

さーて描きかけの絵もアップしたし、やる気出すかー!

2010.06.10

無題

Novel

とりあえず等身と目の描き方を統一してみようと思うよ。3種類くらいに

2010.06.07

俺の絵柄はなぜ統一されないのだろうか

Uchiwa

日本中のお絵かき好きが集まるサイトpixivを見ていると必ず悩んでしまうのが、俺の絵柄はなぜ統一されないのだろうかという疑問だ。

pixivを見てる限り、上手い人もへたくそな人もそれぞれある程度固定された絵柄を持っていて、それぞれの作家の作品サムネイル一覧を見てるだけでもはっきりした統一感がある。俺のサムネイルにはそれがなくっててんでバラバラなの。これ、俺がそう思いこんでるだけなのかな。俺の絵のどっかにこう、なんというかアイデンティティ的なものはあるのかな。

2010.06.06

iPadが欲しくてたまらない

Forest3

iPadが欲しくてたまらない。

大型量販店に行ってはiPadコーナーにとどまる日々。今は何処に行っても売り切れで、ある意味助かっているのだ。もし現物がすぐ購入できるならば、僕はもうまったく財布を尻ポケットから出すことに抵抗できない。

しかしこれだけ欲しいのに妙な話だけど、僕がiPadを有効活用している姿がまったく想像できないのだ。いったい僕はどんな理由でiPadが欲しいのだろう。結局新しもの好きの所有欲でしか無いのかも。

iPadで出来ることはすべて家の中にそろっているからなぁ。かといって家の外に気軽に持ち出せるほど軽くはないし、頑張って持ち出したとしても電車の中でiPad触るのは気が引けるな。画面がでかいから何をしているのか周りの人に丸わかりだしな。iPad必死に傾けながらレースゲームとかやってたらきっと失笑の的だな

2010.06.03

まただよ!またまたnanoloop for iPhoneで曲を作ったよ

Forest2

今回もおいらが愛して止まないnanoloop for iPhoneで作った曲を発表するよ。いやあすばらしいなぁnanoloop for iPhone

今回はサンプリング機能を試してみたよ。聴いてみてよ。雑踏の音を男らしくiPhoneの内蔵マイクでサンプリングしたよ。そんで良い感じにチープに鳴っているスネアドラム、これはnanoloopで作った音を直接サンプリングできる機能を使ってるよ。

nanoloop で作った曲4個目

よければ聴いてみてね!

2010.06.01

Twitterにうつつをぬかしすぎてる

Kaerimichi

たまには長い文章をかかなきゃあと思いココログの編集画面で腕を組み始めてから約20分。つい先ほどまで画面は真っ白のままだった。

つまらない思いつきや近況はTwitterで殆ど呟いてしまうので、特段それ以上ブログでアウトプットすることが無くなってしまう。言い換えればこのブログの文言はほぼ100%つまらない思いつきや近況で出来ていたことになり、また僕のささやかな自己発信欲はかならず140文字以内で収まってしまうことに気づかされる。

ただし140文字以内では表現しきれない文章の機微みたいなものはすべてそぎ落とされているし、より言葉を重ねて主題を膨らませることもできない。ただ何々した、何々と思う、という単純な骨子があるだけだ。映画E.Tで言えば、仲間とはぐれた宇宙人が地球人の子供に助けられて仲間の元に戻る、といった単純な言葉の羅列。この文言だけで感動する奴などいない。本来のE.Tのストーリーを表現するためには、まずA4用紙1枚は必要になるだろう。

このブログには読んでも読まなくてもとくに損得のないことばかりだらだらとつづってあり、テーマもくそもありはしない記事が殆どだ。それでも自分なりにお気に入りのトピックなんぞがいくつかある。Twitterにはそれがない。

日常生活で面白い発見や遭遇した事件があっても、それを右から左へストックしているだけで、自分なりの意見や思索、言い回しのノイズなどが全く記録されないからだ。

例えば今年の3/28にTwitterにて、”興味本位で新興宗教の入信式に参加するが仲間たちと別々に引き離され逃亡するチャンスを見失ってしまうという夢を見る。これ系の夢はよく見るがなぜだろうか”と書いているが、こういう夢の話はもっと克明に書いておくべきだった。挿絵なども描いておくともっと良い。今となっては上の文言以上のことは全く覚えていない。というか、こういう夢を見たことさえ覚えていない。実にもったいない。それに対して、ブログに大事に記録しておいたこれとか これとか この記事とかを見ると夢の映像がありありと思い出され、いつでも僕を不思議な夢の世界へと誘ってくれる。

4/29に呟いた”白人がでっかい一眼レフで吉牛(並)接写してた”も非常にもったいない呟きのひとつだ。なんということのない、一瞬ニヤリとするくらいのほんの小さなエピソードだが、こういう構図をもとにどんどん話を膨らませて、面白さをインフレさせていったのがテキスト系サイトの醍醐味ではなかったろうか。あの有名な吉野家コピペだって、もしあの光景をTwitterで呟いてしまえば”吉野家に普段来ない家族連れが来てて、よーしパパ特盛頼んじゃうぞー、とか言ってるなう。もうね、バカかと。アホかと。”で終わりだ。味気ないどころかこれでは単なる罵倒である。

別に文章を長く書けば面白いものが出来るとも思わないし、そもそもこのブログは面白くないわけだけど、つまり何が言いたいのかというと「ブログやってる人はTwitterばっかり更新してるとネタを無駄に消費してもったいないぞ」だということだ。

最終的に言いたいことが140文字以内で収まってしまった。

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