Twitterにうつつをぬかしすぎてる
たまには長い文章をかかなきゃあと思いココログの編集画面で腕を組み始めてから約20分。つい先ほどまで画面は真っ白のままだった。
つまらない思いつきや近況はTwitterで殆ど呟いてしまうので、特段それ以上ブログでアウトプットすることが無くなってしまう。言い換えればこのブログの文言はほぼ100%つまらない思いつきや近況で出来ていたことになり、また僕のささやかな自己発信欲はかならず140文字以内で収まってしまうことに気づかされる。
ただし140文字以内では表現しきれない文章の機微みたいなものはすべてそぎ落とされているし、より言葉を重ねて主題を膨らませることもできない。ただ何々した、何々と思う、という単純な骨子があるだけだ。映画E.Tで言えば、仲間とはぐれた宇宙人が地球人の子供に助けられて仲間の元に戻る、といった単純な言葉の羅列。この文言だけで感動する奴などいない。本来のE.Tのストーリーを表現するためには、まずA4用紙1枚は必要になるだろう。
このブログには読んでも読まなくてもとくに損得のないことばかりだらだらとつづってあり、テーマもくそもありはしない記事が殆どだ。それでも自分なりにお気に入りのトピックなんぞがいくつかある。Twitterにはそれがない。
日常生活で面白い発見や遭遇した事件があっても、それを右から左へストックしているだけで、自分なりの意見や思索、言い回しのノイズなどが全く記録されないからだ。
例えば今年の3/28にTwitterにて、”興味本位で新興宗教の入信式に参加するが仲間たちと別々に引き離され逃亡するチャンスを見失ってしまうという夢を見る。これ系の夢はよく見るがなぜだろうか”と書いているが、こういう夢の話はもっと克明に書いておくべきだった。挿絵なども描いておくともっと良い。今となっては上の文言以上のことは全く覚えていない。というか、こういう夢を見たことさえ覚えていない。実にもったいない。それに対して、ブログに大事に記録しておいたこれとか これとか この記事とかを見ると夢の映像がありありと思い出され、いつでも僕を不思議な夢の世界へと誘ってくれる。
4/29に呟いた”白人がでっかい一眼レフで吉牛(並)接写してた”も非常にもったいない呟きのひとつだ。なんということのない、一瞬ニヤリとするくらいのほんの小さなエピソードだが、こういう構図をもとにどんどん話を膨らませて、面白さをインフレさせていったのがテキスト系サイトの醍醐味ではなかったろうか。あの有名な吉野家コピペだって、もしあの光景をTwitterで呟いてしまえば”吉野家に普段来ない家族連れが来てて、よーしパパ特盛頼んじゃうぞー、とか言ってるなう。もうね、バカかと。アホかと。”で終わりだ。味気ないどころかこれでは単なる罵倒である。
別に文章を長く書けば面白いものが出来るとも思わないし、そもそもこのブログは面白くないわけだけど、つまり何が言いたいのかというと「ブログやってる人はTwitterばっかり更新してるとネタを無駄に消費してもったいないぞ」だということだ。
最終的に言いたいことが140文字以内で収まってしまった。
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コメント
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ついったーのつぶやきをブログにアップするツールを導入すれば無駄はなくなります。
竹熊さんはついったーに主軸を移すそうです。
ネット世界で、ブログ連合対ついったーの主導権争いで、先日までミクシーとしてたことが続くだけかと。でもスパムや荒らしがしにくいついったーが今は有利か。
投稿: さなだむし | 2010.06.02 20:38
個人的にはTwitterが書いては破り捨てるメモで、Blogは誰かに読んで貰うための作品だと思ってるので、そのへん切り分けたいところですね。
ところでさなださんのBlogのアフェリエイトの収益って、どんなくらいのもんなんでしょう。気になるわー
投稿: elmer | 2010.06.04 00:42